映画と現場 備忘録

しゅ〜かつの逃げ場

『愛がなんだ』


特報出たとき「これTwitterの女たちが好きなやつやん…」って話題になりましたが、Twitterの女たち、どうでしたか?


あと、なりたりょがマモちゃんと呼ばれる度に某顔で表現するタイプの声優がちらついちゃうのは不可抗力ですよね?



高校生の甘酸っぱい青春モノと違い、登場人物の年代が高くなると"ちょっぴりほろ苦い、大人の恋"なんて言われる。

『愛がなんだ』は少し違う。

そもそも苦いのが分かりきってる。少しでも身に覚えのある人はなおさら。だから本当は食べたくないのだけど、私もTwitterの女の一人なので不可抗力です、公開を本当に楽しみにしていました。



猫背でひょろひょろのマモちゃんに出会い、恋に落ちた。その時から、テルコの世界はマモちゃん一色に染まり始める。会社の電話はとらないのに、マモちゃんからの着信には秒速で対応、呼び出されると残業もせずにさっさと退社。友達の助言も聞き流し、どこにいようと電話一本で駆け付け(あくまでさりげなく)、平日デートに誘われれば余裕で会社をぶっちぎり、クビ寸前。大好きだし、超幸せ。マモちゃん優しいし。だけど。マモちゃんは、テルコのことが好きじゃない・・・。




この"あくまでさりげなく"というのが痛々しくて………家にいながら「今ね、ちょうど会社からの帰りだよ」って幸せそうに笑って嘘つくテルちゃん、そのたびに頭抱えた。岸井ゆきのさん、絶対幸せになれない感を醸し出すのが上手すぎる。何もかもマモちゃん中心の生活は若干ホラーだったけど、仕事クビになっても連絡がずっと来なくても、マモちゃんを好きという気持ちがブレないのは尊敬の域……でも「マモちゃんになりたい」はまっっったく分からなかったしやっぱホラーだ。


テルちゃんはマモちゃんと出会ってしまったけど、もし出会ってなければきっと普通に幸せになれてる。ちょっとめんどくさい女の子だけど、そこも可愛いよって言ってくれる人が絶対いる。でも出会っちゃったんだもんね….じゃあしょうがないね……






成田凌演じるマモちゃんは、テルちゃんの気持ちを知りながら自分の都合で翻弄するいわゆる悪い男。絶対タクシー先に乗るし。看病してくれたテルちゃんに「そろそろ帰って」とか言うし。「だってテルちゃん酔ったら帰りたくないってごねて面倒くさいんだもん」とか無意識に言う。それなのに憎めないのは「俺33歳になったら野球選手になる」とか言っちゃう可愛さがあるから。基本的には優しいしね。


物語の後半、すみれさんに片想いして寂しく翻弄されてる様は、マモちゃんを想うテルちゃんと一緒。テルちゃんもきっとそれに気付いてた。俺、気遣われるのとか嫌なんだよね、って言ってたのにすみれさんに超気遣ってんじゃん。痛い。


でもマモちゃんとテルちゃんの決定的に違うところは、マモちゃんにはテルちゃんがいるところ。テルちゃんなら許してくれる、受け入れてもらえるという甘えが常にある。すみれさんに相手にされなくて寂しいなって感じても、マモちゃんにはいつもテルちゃんの存在がある。


案外自己肯定感の低いマモちゃんは(すみれさんに相手にされてないことも多分相まって)「何でこんな俺に親切にしてくれるのか分からない」とか言っちゃう。テルちゃんは「好きだからじゃダメなの?」「マモちゃんにすみれさんは無理だよ」「私にしときなよ」って。もしかしたらこのお話には救いがあるのかも、なんて思っちゃったな。なかったな。





最も苦い顔をしてしまったのは、ナカハラくん(テルちゃんの友だちの葉子ちゃんが片手間に相手してる男の子)が「幸せになりたいっすね」と呟くシーン。ナカハラくんは「葉子さんが寂しいとき、最後の最後で、あ〜あいついたなって思い出してもらえる存在でいたい、そんな時にすぐに会いに来れる所にいたい」と。テルちゃんにとってのマモちゃんのように、ナカハラくんにとって葉子さんは絶対的な存在で、ちゃんと相手にされてなくていいと思いつつも「幸せになりたい」と口に出してしまう。苦しい。


でもナカハラくんはこのままじゃダメだと気が付いた。「俺が葉子さんをダメにしてる」「諦めるときぐらい自由にさせてください」と。それを聞いてもテルちゃんは、それでもマモちゃんへの執着を捨てられない。


初めは普通の恋だったし、愛に変わったかもしれない。もう会うのはやめようと言われ、「マモちゃんは自惚れすぎてる、もう好きとかじゃないよ」と言ったテルちゃん。「友達のイケメン紹介してよ、Wデートして協力し合おう」と言ったテルちゃん。マモちゃんのことが好きで、会いたくて、その結果がこれ。なんて残酷でリアル。でももう引き下がれないよね。それ程までにマモちゃんは、テルちゃんの心の大部分を占めていて、埋めてくれる代わりなんて存在しないのだ。




テルちゃんはきっとこれからも、連絡がある度に全部を捨ててマモちゃんの所へ向かうのだろう。億が一マモちゃんがすみれさんと上手くいっても、特に悲しむこともないのかも。それは恋ではないし、多分愛でもない。


この映画は愛とは何かを知るものだと勝手に思っていたけれど、恋とか愛とかを超えた、最早何かも分からない感情のお話なのだと思いました。「愛がなんだっていうんだ」と言うテルちゃんは逞しいけれど、そこまで辿り着くときっと純粋に好きだった頃には戻れない。外から見ると歪んでいる関係でも、当人が幸せならそれでいいのかもしれない。でも幸せかも分からなくなってしまうのなら、絶対にこうはなりたくないと切に思う。




あそこまで好きになれるテルちゃんを、ほんの少しだけ羨ましく思いつつ、どうも私は100%は共感しきれない映画が好きで、『愛がなんだ』もその一つでした。『君が君で君だ』とか『勝手にふるえてろ』をみたくなってしまった。いやもうラインナップがTwitterの女のそれでしかない……